赤松義則
義則は、具平親王の後裔にて、則祐の長子、身体が短小なるをもって世に三尺入道という、佐々木道誉の外孫たるをもって三代将軍義満の寵愛を受ける、建徳二年、家督を継ぎて播磨、備前の守護となり、左近衛将監、上総介、兵部少輔を経て従四位下大膳大夫に進み、また山名・一色・京極の諸氏と共に侍所所司に補せられ、京都の訟獄を聴断ず、これを四職と称す。ついで美作守護を兼ね、さらに因幡智頭郡、但馬朝来郡、摂津中島の地を増賜される。襲職は12歳。弥勒寺本堂建立は23歳の時。家祖具平親王は性空上人に帰依深く、また父則祐は比叡山律師に任ぜられる。
のち髪を剃りて性松と号す、応永34年9月20日卒す。享年70歳
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